いなどめじんじゃ
福岡県糸島市志摩稲留441-1
古老の伝説に依れば当神社は建久年間に原田の家臣鎮祭すと云う後漢の光武帝の苗商阿多倍王孝徳天皇文化年中に来朝し、播州明石浦に居住天慶四年藤原純友か追討使となり、軍功により筑前国原田に居住す。其の嫡孫原..
古老の伝説に依れば当神社は建久年間に原田の家臣鎮祭すと云う後漢の光武帝の苗商阿多倍王孝徳天皇文化年中に来朝し、播州明石浦に居住天慶四年藤原純友か追討使となり、軍功により筑前国原田に居住す。其の嫡孫原田次郎大夫種直太宰小弍に任じ、平家に仕えて忠節なれば頼朝に召捕られて籠居せしめらる。其の家臣に山口某なるものあり、家の没落を嘆き他家に仕えず志摩郡火山の麓に一家を営み稲留の姓を名のり農夫となり一小宇を建て主人種直の武運を天神地祇に祈る。後建久八年種直赦免せられ、九州に下国したるときこの農夫種直を迎えて怡土郡高祖に城を築かしむ。其遠裔を稲留布賢と云う、この人博学にして享保年間迄は生存しありたるも、其の後家断絶し尋ぬるに由なく、只古老の伝説のみ残れりとある。境内神社天満宮、明治三十三年勧請せり。社殿一棟あり、菅公直筆一通を蔵す。庚神石体(猿田彦命)あり。
無料
有り 鳥居横にスペースがあります
無し