ちょうぜんじ
岐阜県郡上市高鷲町大鷲241
養老元年(717年)、上村長右衛門が天台宗長瀧寺の泰澄に帰依して創建した。長右衛門は法名として入西を名乗った。寺号は無元寺(無元碍寺)、長瀧寺の末寺とした。 鷲見頼保が武蔵権守に任ぜられて鷲見郷に..
養老元年(717年)、上村長右衛門が天台宗長瀧寺の泰澄に帰依して創建した。長右衛門は法名として入西を名乗った。寺号は無元寺(無元碍寺)、長瀧寺の末寺とした。 鷲見頼保が武蔵権守に任ぜられて鷲見郷に来たとき、氏寺として向鷲見村岩高山の南裾に移し自らの菩提寺とした。 文明7年、近隣の住人・上村専西が吉崎で蓮如上人に帰依し、領主・鷲見行保の許可を得て、廃寺同然の無元寺を真宗に改めた。また六字名号を賜り、正ヶ洞の自身の土地に堂を立て再興した。 戦国時代末期になると鷲見氏は衰え、天正年間に鷲見氏の居城・向鷲見城も落城してしまった。さらに天正13年11月29日の水害によって境内の一部が崩壊し、鷲見家累代の墓碑も埋没してしまった。当時の住職・専行は正ヶ洞茶屋ヶ端場に移って農耕をしていたが、のちに越前へ引っ越してしまった。 元禄年間、専行の玄孫・上村伊兵衛浄林は祖先由緒の地・高鷲に移ってきて無元寺を再興した。さらに宝暦9年、淨林が本願寺17世・法如上人から寺号を賜り、鶴遊山長善寺と改めた。
高鷲町大鷲(たかすちょうおおわし)にある浄土真宗本願寺派の寺院。同派岐阜教区郡上組第一ブロックに所属している。 現住職は上村文隆氏。
鶴遊山(かくゆうざん)
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
本願寺直末
717年(養老元年)
阿弥陀如来
上村入西(長右衛門)
鶴遊山長善寺
開基阿弥陀如来絵像 蓮如上人絵伝4幅 足利将軍より鷲見氏に対する感状写し1つ 白山全容水石