当社御由緒は社傳旧記に曰く、元正天皇の御宇霊亀二年舎人親王日本書紀奉撰の勅を蒙り美濃國藍見河の河上なる喪山の事蹟を尋ね給ひこの里を御通過の折、一老翁鉾を携へ来り親王の御前に立ちて先導し奉る。親王怪しみ問給はく、汝は誰ぞと、翁答へ奉り我は是大已貴命なり。親王御先導の為待居たりと言ひ終りて姿を消して見えずなりぬ。故に御鉾の大神と称し奉りやがて此の処に宮を造り齋き祀り給ふと傳ふ。昭和二十七年一月十六日神社本庁の承認を得て大字伊佐美字蛸田秋葉神社、字西出唐松神社、同字金刀比羅神社、字東川秋葉神社を当御鉾神社の飛び地境内神社として合併す。