創建は明らかでないが、元は白髭社又大見社とも称した。寛文年中(一六六〜七二) 領主へ 大明神と記したことがある。徳川時代は、犬山城主成 瀬氏享保年中(一七一六〜三五)より毎年二月十五日 鎮火祭を祈願、十二月二十六日門松料を供進した。又朱印、黒印の社領を元禄七年(一六九四)六月十一日小笠原三郎兵衛返上の古書あり。 「尾張志」 比良賀は平瓮にて神祀りに供物を盛る器、陶器の神なりと。 明治四年十月制度改め際「国内神名牒」に従三位上比良賀 天神と確定し同六年二月村社、同四十年十月二十六日 供進指定をうける。大正二年十二月二十八日同字二日町二番地須賀社と、同字神明十二番地神明社を合祀する。昭和十五年五月十八日社殿改修した。