まんぷくじ
岐阜県大垣市墨俣町墨俣212
寛和元年(986年)頃、天台宗の寺院として葉栗郡門間庄足近の地に創建された。 嘉禎元年(1235年)、親鸞聖人に帰依して出家した祐照法師(熊谷蓮生房(熊谷直実)の猶子・小太郎直照)によって、金足山..
寛和元年(986年)頃、天台宗の寺院として葉栗郡門間庄足近の地に創建された。 嘉禎元年(1235年)、親鸞聖人に帰依して出家した祐照法師(熊谷蓮生房(熊谷直実)の猶子・小太郎直照)によって、金足山満福寺と号する浄土真宗の寺院として再興された。 13世・祐鎮法橋は信長と浄土真宗勢力との間で起きた長島合戦に参戦して戦死した。 天正年間(1573年)、14世・祐恵によって墨俣に移された。このとき豊臣秀吉より330石の采邑を賜ったと伝えられている。 のちに稲葉内匠頭道成によって葉栗郡福島村に移されたが、祐恵再び寺地を現在の地に定めたという。 このころには、浄土真宗の中本山として人々からは美濃三ヶ寺のひとつ・墨俣御坊と呼ばれ親しまれた。
墨俣町墨俣(すのまたちょうすのまた)にある真宗大谷派の寺院。同派岐阜高山教区第十一組に所属している。
金足山(こんそくざん)
熊谷院(ゆうこくいん)
浄土真宗
真宗大谷派
986年(寛和元年)頃
阿弥陀如来
1235年(嘉禎元年)
祐照(熊谷直照)
金足山熊谷院満福寺
墨俣御坊
有り(境内)