あみだじ
福岡県久留米市田主丸町豊城1597-2
現存する最も古い資料によると、天正12年(1584年)正親町天皇の世に現久留米市草野町にあり、当時は極楽山誓願寺という名前だったようです。 ある時、国内に大病が流行し多くの庶民がその病に罹り苦しみ..
現存する最も古い資料によると、天正12年(1584年)正親町天皇の世に現久留米市草野町にあり、当時は極楽山誓願寺という名前だったようです。 ある時、国内に大病が流行し多くの庶民がその病に罹り苦しみました。 この状況に胸を痛めた草野城主は、密かに誓願寺に籠り、僧侶と共に一心に本尊阿弥陀如来に祈願したところ、庶民の病は忽ちに癒えました。 城主は多いに悦び、それ以降は誓願寺を草野氏の祈願寺としました。 草野氏の加護を受けた誓願寺は境内廣深にして、堂于も美しく日夜参詣者が絶えず、多いに栄えました。 しかしながら、九州兵乱で龍造寺氏に攻め込まれた折、堂于は悉く焼き払われ草むらとなってしまいました・・・ ある日、一人の老婆が寺の焼け跡を歩いていると、古い梅の木の梢が何やら黄色い雲に覆われているのを見つけました。 近づいて見てみると、頂に宝冠を現し百宝の蓮華に乗った阿弥陀如来像でした。 一目で誓願寺のご本尊であることを覚った老婆は、沐浴再拝して尊堂を建てて安置しました。 村人達も多いに悦び、皆が香華を手向ける処となっていましたが、ある日突然、筑前下座郡烏木村の桜の木に飛び移られました。 この村でも同様に村人達は多いに悦び、尊堂を建てて安置しました。 これ以降、この尊像は『飛阿弥陀』と称されるようになりました。 従来の病気平癒に加えて、様々な心願成就の霊験は地元に繁栄をもたらし、広く近隣羨望の的となっていきました。
来迎山
天台宗
阿弥陀如来
飛阿弥陀
1月16日 初縁日厄除け星祭護摩供 8月16日 流灌頂精霊流し・灯籠流し 毎月16日 午前10時 月例護摩祈願