こうえんじ
岐阜県関市朝倉町19
文安元年(1444年)、西光によって高井山光明寺(たかいさんこうみょうじ)が創建された。元禄3年(1696年)、雨乞いの儀式での失火で全焼するが、すぐに再建された。 天文8年(1539年)、賢正に..
文安元年(1444年)、西光によって高井山光明寺(たかいさんこうみょうじ)が創建された。元禄3年(1696年)、雨乞いの儀式での失火で全焼するが、すぐに再建された。 天文8年(1539年)、賢正によって臺林山慶圓寺(たいりんざんきょうえんじ)が創建された。8年後の10月13日に賢正は没した。明治初期に慶圓寺は火災で全焼したが、すぐに現在の光圓寺がある地に復興された。15代続いたが明治中期に無住職となり、近隣の光明寺が住職を兼務して代務住職を勤めた。 明治36年(1903年)、光明寺の本尊と寺号は本山本願寺を介して本願寺鹿児島出張所に移され、光明寺は慶圓寺の管理下におかれた。本願寺鹿児島出張所は光明寺(鹿児島県霧島市横川町)となった(しかし昭和47年に火災で鹿児島光明寺の本堂は焼失したため、光明寺から移された本尊や仏具は失われた)。 明治37年(1904年)、かつての光明寺16世・釈居龍によって、高井山光明寺と臺林山慶圓寺が合併され、慶圓寺の地に新寺院ができた。新寺院は両寺院の山号寺号から一時ずつ取って高臺山光圓寺という名になった。このとき境内は旧慶圓寺の位置となった。
朝倉町(あさくらちょう)にある浄土真宗本願寺派の寺院。同派岐阜教区東陽組に所属している。
高臺山(こうたいさん)
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
1904年(明治37年)
阿弥陀如来
高臺山光圓寺
美濃四十八座第13番寺院
無料
有り(境内北東)