ほうれんぼう
大分県中津市寺町980
慶長5年(1600)細川忠興が中津城に入封の際、名僧の誉れ高かった行橋浄喜寺の住職・村上良慶を伴って中津浄喜寺を開基した。 慶長12年(1607)、東本願寺初代教如上人から特別の功績により坊号を贈ら..
慶長5年(1600)細川忠興が中津城に入封の際、名僧の誉れ高かった行橋浄喜寺の住職・村上良慶を伴って中津浄喜寺を開基した。 慶長12年(1607)、東本願寺初代教如上人から特別の功績により坊号を贈られ、寶蓮坊と寺号を改めた。 寶蓮坊はその後、代々名僧が続いたが、特に第3世・村上良道は学問に秀で、勅命により聖徳太子の経典を進講。 天皇からお褒めをいただき、大阪四天王寺・奥の院に祀られていた太子の尊像を拝受したと伝えられている。 太子門は、中津奥平初代藩主・奥平昌成の寄進により建立。この門の正面にかつて六角の太子堂があり、聖徳太子像を安置していたのでこう呼ばれている。
獅子吼山
浄土真宗
大谷派
寶蓮坊
有り