ほうしょうじ
神奈川県三浦市南下浦町菊名159
手伝によると、庄司入道常玄という人物が霊夢によって海岸より見つけ出した観音様をお堂に安置し、潮客寺と名付けたことに始まる。その後、天正三年(一五七五)森四郎左衛門が再建し観音像に蓮坐をつけた。そして..
手伝によると、庄司入道常玄という人物が霊夢によって海岸より見つけ出した観音様をお堂に安置し、潮客寺と名付けたことに始まる。その後、天正三年(一五七五)森四郎左衛門が再建し観音像に蓮坐をつけた。そして天正十八年(一五八七)徳川家康が関東八個所の領主として江戸に移って来た時、家臣に長谷川七郎左衛門と言う人がいた。この長谷川七郎左衛門が文録三年(一五九四)検地を行い、ここ法昌寺の境内を検地する際、観世音の由来を聞きひどく感動し除地にした。後、潮客寺から聞名山法昌寺に改称し、前住職の安叟補全和尚が開山したという。また山号の聞名山もこの地名が菊名町であるところから菊名山となった。
菊名山
聖観世音菩薩
安叟補全和尚
森四郎左衛門(天正3年 1575年)
三浦三十三観音霊場第9番札所
京急線三浦海岸駅からバス「剣崎」行き白山神社徒歩5分
無料