弘仁8年(817年)、伝教大師最澄によって天台宗の寺院・百済寺(ひゃくさいじ)として創建されたと伝わる。
元和2年、愚堂東寔国師の弟子禅達が荒廃していた寺を再興して臨済宗に改め、愚堂東寔を勧請開山とした。このときに瑠璃光寺と改められたとされる。
享保14年、住職・岐山慧薫(ぎざんえくん)によって堂宇が再建された。
宝暦8年(1758年)、この寺において愚堂東寔の百回忌法要が営まれた。このとき住職・定水の招きに応じて白隠慧鶴が法要に参加し、碧厳録を講じた。白隠慧鶴は瑠璃光寺で長期間滞在し、墨跡をしたためた。