すがおうじ
福岡県北九州市小倉南区道原533
当寺院は、紫川の源泉、菅王の滝を背景として栄えた、修験の道場です。 古く、欽明天皇(509-571)(約1400年前)の御代に、百済国(現韓国)に菅王子と云うすぐれた王子がおられました。 王子は、..
当寺院は、紫川の源泉、菅王の滝を背景として栄えた、修験の道場です。 古く、欽明天皇(509-571)(約1400年前)の御代に、百済国(現韓国)に菅王子と云うすぐれた王子がおられました。 王子は、日夜、仏道修行に専念されていましたが、ある日、「海をへだてた東の国に霊地あり、汝、行くべし。」という仏のお告げを受けました。 印度の釈尊と同じ心境で、王子は高位を捨て、はるばる筑紫の海岸に上陸し、菅王の滝へこもりました。 十数年後に、侍臣の智賢上人が、王子を慕ってやって参りましたが、王子はすでに他界していました。 智賢上人は、菅王の滝山内に王子の霊を祀り、自身は山麓に庵を結び、王子の霊を弔いながら、その意思を継いで、衆生済度に専念しました。 これが菅王権現であり、草庵菅王寺であり、開祖は智賢上人であります。 菅王滝と菅王寺はこうした由来の上に命名されたのです。 (一般には菅生滝とかいていますが、史実からいえば、それは誤りであって、「生」は「王」でなくてはならないのです。) 平安の初め(約1200年前)、英彦山の座主、法蓮上人が、菅王滝山内に修験道場を開始しました。 その後、当菅王寺を中心として、48坊が建立され盛を極めました。
護国山
本山修験宗
薬師如来
側には公共駐車場があります