しらひげじんじゃ
岐阜県揖斐郡大野町牛洞94番地
本社は数百年前(年月日不詳)の創建と罹り戦国の頃宮田氏の (宮田氏幼名亀千代丸)戦ひ利あらす 泉州宮田の郷より三臣に守られ美濃の国長森城主土岐 少輔詮直々頼し来り再ひ同国福塚城主丸茂兵庫介を依頼し同..
本社は数百年前(年月日不詳)の創建と罹り戦国の頃宮田氏の (宮田氏幼名亀千代丸)戦ひ利あらす 泉州宮田の郷より三臣に守られ美濃の国長森城主土岐 少輔詮直々頼し来り再ひ同国福塚城主丸茂兵庫介を依頼し同国牛洞郷に居城し此地を領有したり 郷民 地を加賀野城と称したり 曩に当国来住の状宮田の祖神とし守護の神として尊崇えたる武神猿田彦命を宮田郷より分神し来り当牛洞郷に遷座し子孫相継ひで戦神とし 或は 和の として崇敬したり 故に当郷の 神武神として事ある毎に祭事を襲にしたり 世の移り変りと共々徳川の中期(寛永二年九月七日)代官所の設置により最初の宮居の地より同族相謀り氏神として現在の位置に奉遷し其の名も白髭大明神と称し祭事執行と更ならしむる為現在の位置の広大なる地の神域と宣しr¥たり 明治八年三月村社に列す。
猿田彦命(さるたひこのみこと)
旧村社
4月1日