しろやまじぞうそん よしときじぞうそん
滋賀県彦根市城町1-7
江戸時代幕末、彦根藩主・井伊直弼によって重用された長野主膳義言(ながのしゅぜんよしとき)は藩政に辣腕をふるった。しかし、桜田門外の変で井伊直弼が没すると、彦根藩の考えも次第に尊皇攘夷へと傾いていった..
江戸時代幕末、彦根藩主・井伊直弼によって重用された長野主膳義言(ながのしゅぜんよしとき)は藩政に辣腕をふるった。しかし、桜田門外の変で井伊直弼が没すると、彦根藩の考えも次第に尊皇攘夷へと傾いていった。この中で直弼の腹心であった義言は四十九町の牢屋前で斬首された。 のちに義言の霊を鎮めるべく、彼を偲ぶ者達によって斬首跡地に地蔵尊が祀られた。
牢屋跡 長野義言・宇津木六之丞斬首地