万治3年(1660)に京都立本寺20世霊鷲院日審によって開創された。明治初期および昭和7年(1932)11月14日 大火で類焼し、堂宇、古文書など焼失した。日審は「法を演ること 一万余座、席上の法譚又一万余座、曼荼羅を書すること十万余幅、受法の者九万余人」『草山集』といわれるように全国布教遊化のとき、麗峰富士の眺望が東海道でもっとも素晴らし いといわれる当地(境内現存の望嶽の碑)に一宇を建立した。宗祖700遠忌報恩事業として総欅造りの本堂を完成、楼上に鐘楼をそなえた仁王門を建立、台座とも九尺五寸の釈尊座像(ブロンズ製総金箔押)を奉安した。また身延山大本堂の仮本尊であった大曼荼羅(身延88世竹下日康法主筆)を遷座するなど寺観を一新した。
(日蓮宗静岡県中部宗務所HPより)