文明7年(1475年)、木ノ下城から大久地城に戻った岩倉織田家・織田広近は、次男・寛近に家督を譲って「萬好軒(ばんこうけん)」と名付けた隠居屋敷を建てた。広近は家臣など周囲の者に「吾死す後は冥福の為にこの隠邸を禅刹と成すべし」と伝え、延徳3年9月24日(1491年10月27日)に没した。
明応元年(1492年)、勢力争いの後友好関係となっていた清洲織田家・織田敏定は広近の伝言を聞き、萬好軒を「吉祥山妙徳寺」と改めた。
平成16年(2004年)、諸堂の再建が完了し堂宇が一新された。
平成18年(2006年)4月末には、開山500年忌、開基500年忌、落慶法要が行われた。