じょうぐうじ
愛知県江南市前飛保町寺町166
寺の記録である『上宮寺記』によれば、聖徳太子がはじめた寺とされ、のちに天台宗に属したという。なお、『上宮寺記』の原本は戦前に東大資料編纂所へ貸し出され空襲により焼失したため、写本のみ現存している。 ..
寺の記録である『上宮寺記』によれば、聖徳太子がはじめた寺とされ、のちに天台宗に属したという。なお、『上宮寺記』の原本は戦前に東大資料編纂所へ貸し出され空襲により焼失したため、写本のみ現存している。 後鳥羽天皇のときに北面の武士を務めた宮田杢介正慶は、1221年に起きた承久の乱後に比叡山で出家し、修行したのちに遊行して寺に入った。正慶は親鸞聖人が関東からの帰洛途上、三州矢作の柳堂において布教した内容を伝え聞き、感動して帰依し、天台宗から浄土真宗に改宗した。 織豊政権期には信長や秀吉からの手紙が多く見られたと『上宮寺記』に記されており、上宮寺の繁栄がうかがいしれる。江戸初期には『上宮寺記』が記された。本堂は濃尾地震で倒壊し、明治28年に現本堂が建てられた。 現庫裡は建てられた年代が不明だが、250年ほど前のものとされる。
太子山(たいしざん)
浄土真宗
真宗大谷派
不詳
阿弥陀如来
伝・聖徳太子
太子山上宮寺
尾張六坊のひとつ
有り(境内東)