創建年代は不詳。もともと岐阜県関市奥迫間にあり、天台宗の観音霊場であった。第5代天台座主・智証大師円珍の作と伝わる聖観世音菩薩を本尊としていた。
寛文13年(1673年)、迫間郷の郷士・大島孫兵衛の支援下で、大安寺(各務原市鵜沼)から壁立千仭和尚を迎えて臨済宗妙心寺派として再興した。しかしやがて廃れ、244年の長きにわたり無住となっていた。
大正6年(1917年)、草井区民の総意によって現在地に移転された。このとき草井地区にあった「草の井地蔵」を本尊とする浄土宗の寺院・地蔵寺を合併した。また大安寺の北折慧三和尚を招聘し、中興開山とした。
昭和23年(1948年)、本尊の観音像を新彫し、ふたたび観音霊場に加盟した。