開基は天慶4年(941年)で元々は天皇の御願寺として建立された真言宗の寺院であった。当時は七堂伽藍が立ち並び、その数は24軒もあったと伝えられている。
また、ご本尊は「観音菩薩」でお堂の敷地は壱反余もありお寺の中心になっていたそうである。ところが1570~1580年頃、織田信長の天下統一の西国の戦いに巻き込まれて火難にあってしまう。
その火難後に浄土真宗に転派。(丁度その頃に浄土真宗本願寺派の第11代門主である顕如上人が有馬に湯治されたりして西国に布教線を拡大している時期でもあることから、その影響によるものと考えられる。)
元禄二年(1689年)播州赤穂の出身者である釈周観によって本堂が建設され浄土真宗の念仏門法の道場として崇敬を集めてきたが、慶応二年(1866年)に大改修をするも老朽化に耐える事ができず、昭和六二年(1987年)の秋に再建され現在に至る。
※近年の研究により、転派した直後の本堂の傍らには観音像が安置されていたようであり、一心に阿弥陀仏を信仰する浄土真宗にとって許されるべきかどうかという質問状が元禄14年(1701年)に当時の光円寺より本願寺へ提出された事が判明した。