おいじんじゃ
島根県出雲市乙立町4706-6
創立年代は不詳であるが、社伝によると平安末期(仁安年間)頃、紀州熊野修験者が熊野権現の御分霊を笈の中に祀って全国を布教中、乙立の坂本の里の豪家伊藤家(屋号御方)に立ち寄り、前庭に小祠を建て熊野速玉社..
創立年代は不詳であるが、社伝によると平安末期(仁安年間)頃、紀州熊野修験者が熊野権現の御分霊を笈の中に祀って全国を布教中、乙立の坂本の里の豪家伊藤家(屋号御方)に立ち寄り、前庭に小祠を建て熊野速玉社の御分霊を祭った。 その後、霊験あらたかであることから神慮を恐れ伊藤家所有の山腹に社殿を建立 したのが創まりという。後にこの山を笈の山というところから、また修験者が御分霊を笈(おいこ)に背負っていたことから神社を笈権現という。 近世の「雲腸誌」によると、神門郡乙立村の頃に「笈権現伊邪那岐尊を勧請す貞享元年造営棟札あり。この所を笈山という。故に神の号とす」との記載ある。 明治5年村社に列せられ、大正3年9月15日現在地に移転したものである。
伊弉諾命、伊弉再命
10月18日
あり
なし