じょうこくじきねんどう
岐阜県各務原市鵜沼古市場町4-87
この堂は戦国時代にあった南豊山承国寺(なんぽうざんじょうこくじ)の遺構上に建てられているもので、承国寺の後継寺院または承国寺の存在を記録するものだと考えられている。堂の創建年代や創建者、「承国寺(承..
この堂は戦国時代にあった南豊山承国寺(なんぽうざんじょうこくじ)の遺構上に建てられているもので、承国寺の後継寺院または承国寺の存在を記録するものだと考えられている。堂の創建年代や創建者、「承国寺(承國寺)」と「常國寺」という表記差異の理由は不明。 南豊山承国寺の正確な創建年は不詳だが、発掘調査などから1450年頃の創建と考えられている。美濃国守護・土岐持益が臨済宗・太岳周崇の法嗣である鈍仲全鋭を開山として創建した。幕府公認の寺院として諸山の位を得た。 文明年間、詩僧の万里集九が近隣に庵・梅花無尽蔵を構えて住んだ。そのとき承国寺の僧侶と交流があり、集九の著書・『梅花無尽蔵』には当寺に関する記載が多数みられる。 塔頭として興禅院・対松院・興雲院・衆善軒・春沢軒が名のみえるもので、住持には南渓全曹・梅心瑞庸・子薦梵鶚などが就いた。 1520年代になると、記録から承国寺の名はがみられなくなる。発掘調査でも濠がこの頃に埋められ、大型の土塁が築かれたことがわかっている。これらのことから、廃寺となって城塞へと変質していったと考えられている。 大安寺川の河川改修にともなう流路変更で土塁は両岸に分かれた。残っていた土塁のうち、川の左岸にあったものはアパート建設に伴い破壊されることになった。そのため平成8年(1996年)に各務原市によって発掘調査が行われた。 承国寺の目に見える遺構としては、先述した土塁のうち北西約140mの大安寺川右岸にあるものが現存している。 犬山市にある本龍寺はかつて鵜沼の「廣撰山承国寺」であったとしているが、関連は不明。 本堂前の小堂には「常国寺開山和尚」とある卵塔がある。興国2年7月8日(1341年8月20日)逝去と彫られているが詳細は不明。
鵜沼古市場町(うぬまふるいばちょう)にある堂。
廣撰山
廣撰山常國寺紀念堂
中濃新四国第84番札所
無料
無し