てんぷくじ
福岡県福岡市城南区南片江4丁目40-30
聖福寺の塔頭として、博多区冷泉町に位置していたが、昭和58年(1983)に、 同地を離れ油山に移転した。 維新の志士加藤司書が慶応元年(1865)寺内で切腹した。 天福元年(1233)創建。 初..
聖福寺の塔頭として、博多区冷泉町に位置していたが、昭和58年(1983)に、 同地を離れ油山に移転した。 維新の志士加藤司書が慶応元年(1865)寺内で切腹した。 天福元年(1233)創建。 初め東長寺の北隣にあったが、そこに藩主黒田忠之の廟を建てるため、西向こう側の龍宮寺境内、 及び奥堂町の人家の裏を賜り移転(現在の冷泉町)。 その後、昭和58年城南区片江に移転。 福岡藩の家老加藤司書は、幕末「乙丑の獄いっちゅうのごく」により、 慶応元年(1865)10月25日、ここ天福寺で切腹した。 墓は、節信院(博多区御供所町)にある。 なお、加藤司書公の屋敷跡は中央区桜坂2丁目10番にあり、 石碑が立っている。(はなみずき通り筑紫女学園から少し南の細い道を右に入ってすぐ左に折れる。
萬境山
臨済宗
妙心寺派
石城三十三箇所観音霊場 5番
有り