ふどういん
兵庫県姫路市山野井町393
寺伝によると神亀五年(728)に、徳道上人により、大和の長谷寺を模して姫山の地に創建され長谷寺と号し、元亀三年(1572)黒田官兵衛の父である小寺職隆(こでらもとたか)が姫路城域拡張のため、惣社(播..
寺伝によると神亀五年(728)に、徳道上人により、大和の長谷寺を模して姫山の地に創建され長谷寺と号し、元亀三年(1572)黒田官兵衛の父である小寺職隆(こでらもとたか)が姫路城域拡張のため、惣社(播磨國総社)地内に移し不動院と改めたとされる。『城北社寺明細帳』にも、 創建神亀五戌辰年開基徳道、大和國長谷寺ヲ模シ當國同郡姫山ニ寺宇ヲ創建シ姫路山長谷寺ト稱ス、元亀三壬申年小寺職隆姫山営陣之砌、同城内惣社ノ地ニ移転し、明治三庚午年九月舊藩主ノ命ニ依テ當地ニ移転ス とある。それまで砦や館の如き小規模なものであった赤松氏時代の城が、小寺職隆によって中世の城郭へと変貌した時期、長谷寺が姫山から惣社地内へと移転したことになる。姫山における長谷寺の位置は不明だが、石積みが城郭のものと異なるとの理由から、現在お菊井戸のある場所と考える研究者もある。(官兵衛ヒストリア参照) 寛延二年(1749)の『村翁夜話集』には以下の記述あり。「明王院開基ハ永禄年中ニ小寺美濃守殿ノ時妙音房看慶ト云持律殊勝ノ僧故美濃殿崇敬有初テ一宇ヲ建立シ玉フ」また別の箇所に「総社ノ内姫路山長谷寺明王院ハ昔長谷門ノ塔中也ト云 同所不動院モ同之」とあるので、不動院を永禄年間(1558-1570)の建立とする説もあるが、不動院境内に不動院第二葉清尊法印の墓があり寂年を弘治三年三月三日(1557)と刻むので、不動院としての歴史は明王院より古いことになる。ここに言う「不動院モ同之」は明王院と不動院が長谷寺の塔中という由来を共にする意と解釈した方がよい。
真言宗
姫路西国三十三観音霊場 第十九番 播磨四国第八十八番札所
姫路城周辺観光ループバス 清水橋下車 徒歩5分