古来このあたりを「辻」(つじ)と呼び、大高の中心でした。道路は、昔の大高城下町そのままのカギ形になっています。
江戸時代半ばには、市が開かれ賑わった場所です。幕府の命令を知らせる「高札場」(こうさつば)もここに設けられ、「キリシタン禁制」の高札が掲げられていました。
明治時代になって、大高最初の役場・郵便局・学校もこのあたりに設けられました。
この秋葉社は、十八世紀後半から十九世紀初めころ創建されたもので祭神は火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)です。
大高は火災が多かったことから火伏せの神として信仰されており、今でも決まった日に祭事が行われています。
手洗いの石には、くぼみが多数見られます。
これは「盃伏穴」(はいじょうけつ)といい村人が願掛けに石で衝いたのではないかと言われています。
大高歴史の会(由緒より)