創立年月日不詳なれども、孝霊天皇第三皇子伊予主五十五代第三の子浄正少弼通直の子関谷大和守定高、第百二代後土御門天皇の御宇明応五年猿田彦命を塩竃大明神と勧請すと云へり。加藤家系譜に加藤遠江守光泰の子左ェ門尉貞泰公四万石を領し、美濃國黒野城主となれり。居城の際の守護神なりと称せり。元和二年以後大垣領地と成り、大垣城主代々御崇敬あらせられ社殿の改造には金穀及大工人夫料の御下賜ありたり。文化七年京都吉田御殿御学館主玉田主計永教出張の上当塩竈大明神御霊代及事跡の調査あらせられたり。明治三十三年八月大洪水には牧川通し上秋堤防切込み拝殿は云ふに及ばず神社の古記録も共に流失せり。明治四十四年九月二十日岐阜県許可を得て大野村大字黒野字大堀1308番鎮座無格社八幡神社同村大字同字大縄1731番鎮座無格社御鍬神社を同村大字黒野字南屋敷1715番地村社塩竃神社境内へ移転合併の許可を得て、大正五年九月二十八日遷座式齋行す。抑も往古より地頭領主の尊敬厚く、氏子始め近郷村民の崇敬深く、殊に産婦人は古昔より現今に至る安産の守り神なりとて日夜参拝するもの夥しい。境内社 一、八幡神社創祀不詳。文化七年十二月京都吉田小瀬展御学館主玉田主計永教出張御霊代及事蹟を調査せられたり。明治四十四年九月二十日大根村大字黒野大堀1308番鎮座無格社八幡神社を同村同字南屋敷1715番地鎮座村社塩竃神社境内へ移転合併の許可。大正九年九月二十八日遷座式挙行。一、御鍬神社(豊受大神)由緒八幡神社と同一。現在守護神の豊受大神とて氏子崇敬社は農民に多し。