創建年代は不詳。
かつて社地には相羽城があった。城は美濃國明細記によると、垂井城主長屋景教の嫡子・長屋大膳之亮景興と、その嫡子・長屋與五右ェ門景直が城主で、土岐氏配下で二万石を領したが、天文16年(1547年)に土岐頼芸没落の際、斎藤道三に従わなかったために攻められ、12月景興・景直父子は戦死して落城した、という。その2年後、城主鷹司氏が織田信秀に攻められて相羽城は廃城となるのだが、長屋氏を偲んで八幡神社に石碑が建立された。のちに八幡神社に合祀され、石碑はなくなった。
明治12年(1879年)6月、村社に列した。