はちまんじんじゃ
岐阜県揖斐郡大野町上磯292
社伝によると寛平5年(893年)3月に創祀された。美濃國神明帳内の従五位下石部明神は当社に該当するとの説がある。古来、上磯・有里・本庄・鹿野・定松・五之里・南方・麻生の八ヶ村における総社であった。 ..
社伝によると寛平5年(893年)3月に創祀された。美濃國神明帳内の従五位下石部明神は当社に該当するとの説がある。古来、上磯・有里・本庄・鹿野・定松・五之里・南方・麻生の八ヶ村における総社であった。 毎年旧正月14・15日の神田祭には、掛役員が裃を着用して帯刀して神前へと出て祭祀を執行していた。前日(14日)には探湯の神事があり、氏子が総出で心身を清浄にし、神田より収穫した秋初穂を供饌し、祭礼を厳粛に行った。式後には氏子一同で直会を開催した。これらは毎度欠かさず行われた。古来は両日とも踊花火等があって近隣より参拝者で賑わい、時には領主も参拝することがあった。祭りの最後にその年の神田奉仕者一名を神籤で決定し、一年間の宮守を定めた。祭りは永年継続していて、現在に至るまで絶えず現在に及んでいる。 明治42年(1909年)1月18日、八幡神社(字東村2428番地鎮座)・無格社神明神社(字笹山184番地鎮座)・無格社北野神社(字村前545番地鎮座)を現在地の無格社大國神社境内に移転し合併した。同日、無格社稲荷神社・(字東村1421番地鎮座)・無格社白髭神社(字南山456番地鎮座)も現在地の無格社大國神社境内に移転された。後半の移転とともに、大國神社は若宮八幡神社と改称された。 昭和18年(1943年)10月11日、本殿屋根の葺替遷宮祭が行われた。
主祭神 応神天皇(おうじんてんのう) 摂末社祭神 天照大神(あまてらすおおかみ) 菅原道真(すがわらみちざね)
伝・893年(寛平5年)3月
4月1日