雄略天皇17年(473年)に創祀されたと伝わる。
下座倉地区はかつて駅家にあたり、ヤマトヒメノミコトが神器を奉して大和国笠縫邑からこの地の駅家を通過して本巣郡伊久良河宮に四年間奉斎したことから、経由地ということで神徳を忍び、後年雄略天皇のときに河原田という場所へ創建されたと伝わる。享禄3年(1530年)より天正4年(1576年)にかけて揖斐川が流域を変えたため、村の西部を川が通ることとなり字二つ屋は川の西岸に分離されてしまった。神明神社も揖斐川の川岸になったことで水害を受けることが多くなり、社殿の改築も数度に及んだ。その都度領主・石川太郎八公が奉幣し、盛典を極めた。
実際に見える記録としては、元和3年の棟札が最古である。昭和8年2月27日、字杁口383-3、383-4に鎮座していた無格社・市杵島神社と合併したうえで、現在の地に移転された。