きょうでんはくさんじんじゃ
福井県福井市大宮2-27-30
経田白山神社・弥陀八幡宮 由緒沿革 経田部落には白山神社と弥陀八幡宮の2神社が古くからありました。昔は神仏体でありましたので、御神体も自ら神仏混合であることを御諒承願います。 白山神社は泰澄大師..
経田白山神社・弥陀八幡宮 由緒沿革 経田部落には白山神社と弥陀八幡宮の2神社が古くからありました。昔は神仏体でありましたので、御神体も自ら神仏混合であることを御諒承願います。 白山神社は泰澄大師が御巡錫の折建立されたもので、御神体は泰澄大師の御作と伝えられています。弥陀八幡宮は昔越前地方に大洪水があった際、経田の大川の岸辺に流れ止まっていた御神体を当時の豪族八代が見つけて御手当をし御宮を建立して奉祀したそうであります。 当時の大川は現在の八ヶ用水にあたるようで大きさは現在の数倍もあったそうであります。又八代は御宮建立後大金持になり、後の姓を名乗ることを許されて東間八代と称していたそうであります。村の者は白山神社を後堂様(うしろどうさま)弥陀八幡宮を前堂様(まえどうさま)と呼んでいました。弥陀八幡宮の御神体は極色彩の見事なものであります。 前堂様のもと敷地が現在の護国神社の境内になっております。而も元は一抱え二抱えもある杉の大木が十数本もありましたが敷地の水位が高くなって全く枯れてしまって現在の御庭の樹木はその後植樹されたものであります。 昭和14年福井県護国神社が造営されるにあたり、前堂様が護国神社の宮域になりましたので、白山神社、弥陀八幡宮両神社の御神体は合祀され今日に至っています。 昭和23年に福井大地震に被災し全壊、仮殿にて祭祀続けていましたが昭和54年10月に造営しました。 境内由緒書き より
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