みやじてんじんじゃ
愛知県豊川市赤坂町宮路1120
宮路山の麓の音羽町には日本武尊の東征のとき、その皇子の建貝児王(たてがいこのおおきみ:第3子)をこの地に封ぜられたといいます。これが宮道別(みやじわけ)の祖であり、その子宮道宿禰速麿は「穂」の県主に..
宮路山の麓の音羽町には日本武尊の東征のとき、その皇子の建貝児王(たてがいこのおおきみ:第3子)をこの地に封ぜられたといいます。これが宮道別(みやじわけ)の祖であり、その子宮道宿禰速麿は「穂」の県主になり、その子孫が建貝児王を祭ったのが宮路山の山頂と麓にある宮道天神社の起源です。 宮路山の名が歴史に出てくるのは、大宝2年(702年)持統上皇が三河に巡行し、その最中に大宝律令が公布され、穂の国は三川(西三河)と統合され、三河の国となりました。 壬申の乱(672年)の時、持統上皇の子、草壁皇子が宮路山山頂近くで守備にあたり、皇子は宮道天神社の祭神となっています。
建貝児王(日本武尊の第三皇子) 草壁皇子(天武天皇、持統天皇の第一皇子) 大山咋命
無料
有り(鳥居下階段前の空き地に数台停めれます)