はちまんしゃ
滋賀県東近江市平柳町1384
社伝によれば、天文年間(1532年 - 1555年)に佐々木六角定頼が勧請し、国領信忠に神社として祀らせたといわれている。天正元年(1573年)、信長の兵火に遭ったため国領信雅が再建し、神事田六石二..
社伝によれば、天文年間(1532年 - 1555年)に佐々木六角定頼が勧請し、国領信忠に神社として祀らせたといわれている。天正元年(1573年)、信長の兵火に遭ったため国領信雅が再建し、神事田六石二斗余の貢米を出して祭事を行ったことが、元和元年(1615年)の八幡宮天神宮御供米取立帳に詳しく記されている。 現存する棟札によれば正徳4年(1711年)に社殿が再建されたという。明治9年(1876年)、村社に列した。大正4年(1915年)、無格社の八坂神社と天満神社を合祀した。
譽田別尊(ほむたわけのみこと)
1532年 - 1555年(天文年間)
一間社流造