じょうこうじ
岐阜県郡上市八幡町初納字下津原1901
正応元年(1288年)、明正坊により創建された。明正坊はもともと相模国から流浪を経て大間見村(現・郡上市大和町)に移り住んだ源氏家臣の武士・高橋判官季長で、本願寺2世・如信上人に帰依して法弟となり、..
正応元年(1288年)、明正坊により創建された。明正坊はもともと相模国から流浪を経て大間見村(現・郡上市大和町)に移り住んだ源氏家臣の武士・高橋判官季長で、本願寺2世・如信上人に帰依して法弟となり、正安元年(1299年)には友人の田代高綱と大間見村田代洞(現・郡上市大和町)に阿弥陀如来像を安置した堂を建てた。 その後諸事情から那留ケ野(現・郡上市白鳥町)に移ったが、勢力を伸ばした天台宗長瀧寺に排斥されて小野村(現・郡上市八幡町)を経て小駄良村鳩畑(現・郡上市八幡町)へ移されるなど転々とした。 戦国時代に入ると、石山戦争に加担したとがで織田信長から退去を命ぜられ、9世・了智は天正4年(1576年)に下津原村(現・郡上市八幡町)に移って道場を構えた。 10世・西了は許されて小駄良村鳩畑の寺へ戻ったが、道場は残された。この残された道場は西了の弟・西蓮が10世として継ぎ、12世・浄信のときに浄光寺と公称した。 現本堂は天保13年(1842年)に建立されたもので、平成5年(1993年)に銅板葺きの屋根に変えられた。
八幡町初納(はちまんちょうしょのう)にある浄土真宗本願寺派の寺院。同派岐阜教区郡上組第二ブロックに所属している。 現住職は23世・高橋了海氏。
瑠璃山(るりざん)
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
本願寺直末
1288年(正応元年)
阿弥陀如来
明正房
瑠璃山浄光寺
六字名号(蓮如上人筆)
有り(境内南)