至徳年間(1380年代)に創建されたというが実際は不明。ただし、境内の石仏や石塔から相当古いとは考えられている。
天正年間に兵火で荒廃し廃寺同然となっていたが、元和元年(1615年)に松益が中興した。
鐘楼は明治12年(1879年)4月に作られたもので、その積み石は勝堂古墳群の赤塚古墳より移されたという。また、境内墓地には勝堂古墳群のいずれかの古墳のものと思われる石棺蓋石を台にした宝篋印塔がある。
本堂は昭和40年(1965年)8月13日に落雷で焼失し、2年後に再建された。この落雷による火災で、松益の絵像・井伊家の位牌・厨子が失われた。このため、なぜ井伊家と同じ橘紋を用いているかということの理由は不明である。