りょうにったじんじゃ
愛媛県松山市河中町295
南北朝時代、南朝方の新田義貞の三男・義宗と従兄弟・脇屋義治は、北朝方と各地で転戦し、湯山の領主得能家に匿われ応永10年(1403年)に共に当地で亡くなった。 後に、得能通義は両将の墓辺に小宮を営み..
南北朝時代、南朝方の新田義貞の三男・義宗と従兄弟・脇屋義治は、北朝方と各地で転戦し、湯山の領主得能家に匿われ応永10年(1403年)に共に当地で亡くなった。 後に、得能通義は両将の墓辺に小宮を営み、河野通直は二廟を建立し上新田廟・下新田廟と称えた。 その後合祀し、両新田神社と改めた。 境内には、御杖椿、新田椿と呼ばれる椿の大木が有る。新田義宗が下向の際に使った椿の杖を土に挿し置き、それから根が出て育った椿で、その巨木は県下一で松山市の指定天然記念物になっている。
南北朝時代の南朝方の武将:新田義宗と脇屋義治を祀る神社である。境内にある「お杖椿」というヤブツバキの大木が松山市指定天然記念物である。
新田義宗公 脇屋義治公
伊予鉄道松山市駅/JR今治駅より、[特急バス]大三島-今治-松山線(1時間に1本程度)にて、河中バス停下車徒歩200m。
無料
有り