かしまじんじゃ
滋賀県長浜市湖北町留目443
人皇第十四代仲哀天皇越前の国南鹿へ行幸の途次国家安全のため武内宿禰が常陸の国鹿島、香取両 神宮より御祭神を勧請。 天智天皇九年中臣金連社殿を造営。往古より田川の麻曽田山に御鎮座、その後同山の西八丁..
人皇第十四代仲哀天皇越前の国南鹿へ行幸の途次国家安全のため武内宿禰が常陸の国鹿島、香取両 神宮より御祭神を勧請。 天智天皇九年中臣金連社殿を造営。往古より田川の麻曽田山に御鎮座、その後同山の西八丁の地(留)藤の森(現在地)に御遷座。大宇田川伊勢山 前留目別所須賀谷の田川流城六ヶ字を田川の荘と呼び氏子約二百 の総鎮守の社として氏子と共に杜運 隆昌を極む 就中浅井氏三代及び豊臣、徳川家代々崇敬篤く當神社を祈願社と定め朱印社領約八百石の献納あり。 旧来神主二人、神部六人 にて奉仕。 明治十五年九月十五日 旧社格郷社に列せらる。
建御雷之男神
旧郷社