人皇ニ十七代継体天皇御即位の以前、未だ男大迹神皇子と申し奉り、久しく、当国に潜竜し、味真郷の宮殿に、在ました際、御母振媛を当国高向の神に訪途次、当社境内の杉の大樹の下に、御休憩あらせられたので、里人、恭しく、御饗応し奉りければ、大に、之を喜び拾うて、八幡の二字の御真書の扇子を賜うた。依って、村民一社を造営し、之を奉安し、八幡大神を祀り、氏神と崇敬し奉ったと云う。
明治41年1月14日、福井県の許可を得て、境内神社大洗磯崎神社、祭神、少彦名命、由緒未評の一社と合祀す。勅令に基き、明治44年5月6日、福井県告示第62号を以て、神饌幣帛料供進神社指定せられ、大正・年9月27日、福井県に於いて境内に、禁制札を建設せられた。