今から約1100年前の平安時代に日吉大神より勧請されると推定される。 1207年親鸞聖人越後流刑の際に当神社に参拝し 縁起一巻を社僧賢信に残したと云われている。
鎌倉時代白山本宮上道宮司の荘園下にあり、その 後皇室領となり、当時この地にあった万福寺の僧 が当神社の別当として務めていたと思われる。
室町時代米光の氏子衆は日月食料と云う特殊な年貢「葦簾(よしず)」を宮廷に献上していた。戦国時代よりは一向宗や真宗の僧が別当を兼ねていた。
当初より「山王権現」と称されていたが明治10年「米日吉神社」と改称された。 同39年村社昇格を期して日吉大社に幣帛料を奉じ、鳥居を建立、昭和9年本殿、幣殿を改築、恵比須堂を新築し、同49年社務所を新築した。昭和の頃、大杉古木が聳りて神域を護っていた。
明治、昭和の圃場整備事業による出土品や遺跡群 がこの米光の里の歴史を彷彿させるのである。