当社は、京都の上賀茂神社の末社と伝えられ、御祭神 は別雷命(わけいかずちのみこと) 社紋も同じく二葉葵である。
創建年代は不祥であるが、応永年間にはすでに鎮座していた記録があることから、創建はこれより古く、今から千年程前と考えられる。
北島村の東方の田圃に「宮田」と称する地名あり。往昔、この地に社殿があったが、当時この地域を流れているた「北条河」の氾濫により流失するに至った。この頃、 安宅に加賀の国八社の一つ「安宅加茂神社」があり、同じく洪水に遭ったが、御神体は無事、神官が篭に納め、 背負って当地に至って祀ったという。これより当社は別名を「篭の宮」と呼ばれている。
古くは「加茂社」と称したが、明治九年七月、「北島 加茂神社」と改称し村社となる。同三十九年十二月、神饌幣帛料供進社となる。 社殿は元来、境内北部中央の目回り一丈三寸の大松樹の付近に、南向き茅葺きで建てられていたが、明治二十 九年九月、現在のごとく東向きとし、瓦葺きに改築された。明治三十五年九月、本殿を改築し現在に至っている また、社務所は、本殿改築に伴って瓦葺き二階建てで、 本殿北側に建築されたが、昭和四十六年十月、南側に移転新築された。
御祭神「別雷神」は我が国の建国創業に由縁の神で、 農耕殖産、五穀豊穣、縁結び、方角厄除け等、御神徳豊、かな神として崇敬されている。
〜現地案内板による