おがわじんじゃ
石川県白山市上小川町176
社記によれば、「元菅原神社の創立は遼遠にして今これを詳らかにするを得ずといへども、菅公の遺臣この地に住し社殿を造営した、と記す。白山記には、「当社は元の神符社(加賀の国八社の一社)で、現在地の西方地..
社記によれば、「元菅原神社の創立は遼遠にして今これを詳らかにするを得ずといへども、菅公の遺臣この地に住し社殿を造営した、と記す。白山記には、「当社は元の神符社(加賀の国八社の一社)で、現在地の西方地点にあり。」寿永二年(1183)木曽義仲の軍勢が平氏を追撃、戦火のため社殿・神室・旧記や森を焼失した。その後、小川隼人成定がこの地を領し、境内を広め神領田を寄進するなど小川天満宮の名は広く知られた。 また、以前は現在の海中地点に大鳥居があり、船舶が沖を通る時は枕をおろし海上の安全を祈願したという。今も「鳥居田」と称する地名があり、そのため現在でも鳥居を建立せずお祭りには青竹を立て、しめ縄を張って鳥居とする習わしがある。 明治三十六年、江沼郡東谷奥村字上新保の 村社白山社を移転合祀するとともに「小河神社」と社名を改めた。 菅原神社の御祭神菅原道真公は学問の神様として、白山社の御祭神菊理姫命は夫婦の仲 や、人と人の和をとりもつ神様として崇敬さ れている。また、氏子は崇拝の念篤く古くよ り全戸交替で町民の幸福と町の隆盛を願いつつ、毎日の日供祭を執り行っている。 〜現地案内板より
創立の年代不詳。菅公の遺臣がこの地に住み社殿を造営したものであるという。もと、無格社菅原社と称したが、明治36年江沼郡東谷奥村字上新保鎮座の村社白山社を移転合併し、村社小河神社と改称する。明治39年神饌幣帛料供進神社に指定。
菅原道真 菊理姫命
旧村社 それ以前、神符社(加賀の国八社の一社)であった。