はくさんじんじゃ
岐阜県郡上市美並町梅原2
元正天皇の御宇養老元年越泰澄加賀國白山を開創し、次に長瀧村州原村に白山神社を勧請し、養老五年三月三日に当社を勧請し祀るに伊弉諾命、伊弉册命、大已貴命の三柱をもって白山神社と称し、則加賀國白山の中門に..
元正天皇の御宇養老元年越泰澄加賀國白山を開創し、次に長瀧村州原村に白山神社を勧請し、養老五年三月三日に当社を勧請し祀るに伊弉諾命、伊弉册命、大已貴命の三柱をもって白山神社と称し、則加賀國白山の中門に里人大いに尊敬し、三月三日創立の日を以て祭日とし、神幸、遊歌法の祭典を奉仕。翌六年大いに大師加賀國白山社へ赴かんとし、十月十五日に当社に参拝を遂げ、其の節神迎榊八乙女祭を執行せしを以て毎年両日に祭典を行ひ、両度の祭料を当時国司より社領も下付有りたり。後淳和天皇御宇天長三年の頃世人挙げて田地を寄付し、其時より社領多分を有せり。又文徳天皇御宇仁壽二年に里人集議を遂げ、社堂の再建鳥居建築せんと欲したるも故ありて遂に奏功せず。後清和天皇貞観九年に至り、此の年豊作なりしを以て建築の機至れりとて二月下旬に至り造営。以下記述膨大にして略。
伊弉冊命(いざなみのみこと)
4月2日〔2日間〕