橋良村は渥美郡北部にある一村であり、古くは柱津波志良と言われ今は橋良と言う。本社創立については定がではないが、社伝· 社宝の棟札等 によると、建久五年(1194年) 源頼朝社領として四方二町の地を寄進とある。其の頃、源賴朝郷三河国渥美の神戸村御遵行の時、橋良村より大津村にて休み、今田村に着岸と言へりこの間未だ村里なかりしぞとある。正治二年(1200年)安達藤九郎盛長 が桧苗一千本を献上ここに初めて波志良明神を祀る元野社とした。
貞治二年(1363年)社頑を造营その析前にあった須佐之男社と合祀し、素壹灣社として勧請。其の頃、法雲等なる社僧寺ありというは古く橋良御厨に奉祀された神明社の古伝にあり。
文禄二年(1593年)津島神社を勸請 合併し、橋良牛頭天王杜とす。
慶安二年(1649年)橋良村から小浜村を分村し字廣面にあった神明社を小浜村の產土神とした。社宝として蔵する棟札は文禄二年(1593年)十二月社殿造营が最も古く寛永十九年以降十四枚の棟札を杜藏する。
明治初年(1868年)神社制度改により牛頭天王社を改め、素盞鳴尊を祭神と仰ぎ、素盈喝社として次いで社格荆度により村社に列せられた。
明治四十年(1907年)十月二六日幣帛供進の指定を受ける現在の社殿は、大正二年(1913年)七月造营なり。此の時牟吕吉田村镇座神明社村内鎮座、塞神、同作神社、同若宮八幡、同伊雜登美社を合祀し奉る。
大正二年(1913年)十月十日許可を得て社名を橋良神社と改める。