ちょうせんじ
大分県別府市野田4組2
後朱雀院の皇太子である”親仁親王(チカヒトシンノウ)”が重病にかかり、夢に高僧が現れ『皇太子の病は宿業の致すところである。豊後の国、かまどの庄に霊泉があり清らかなこと類を見ない。この霊泉につかり我が..
後朱雀院の皇太子である”親仁親王(チカヒトシンノウ)”が重病にかかり、夢に高僧が現れ『皇太子の病は宿業の致すところである。豊後の国、かまどの庄に霊泉があり清らかなこと類を見ない。この霊泉につかり我が名を呼びなさい、その悩みはたちどころに消えるであろう』とおっしゃった。7日7晩毎日湯に入られると、病は洗うがごとく治られ、皇太子は大変感謝し涙にむせびなされた。程なく御心を後に残され京都にお帰りになった後、御位につかれ、第70代後冷泉天皇になられた。 即位の後、帝の勅願所として宇留島俊久、藤原貞久の両名に命じ百済様式の七堂伽藍を柴石一本杉の地所に建立し、血の池の因に依りて、朱湯山と称し、時の年号を意味する寛徳院と号した。また、温泉が常に溢れ絶えることがなかったので長泉寺と名付けた。
境内には、万病に効くといわれる薬師湯があります。源泉は竜巻地獄からの引き湯です。泉質は”含食塩酸性泉”の湯です。
・入浴は無料ですが、お賽銭程度を置いてくださると幸いです ・入浴時間:午前10時~午後4時 ※夕方は地元の方が...
朱湯山
寛徳院
浄土宗
寛徳2年(西暦1044年)
薬師如来
有り