いいだまじんじゃ
群馬県高崎市上大類町1239
当社は上大類村の西北部に在り氏子約百戸神域は南北約二百米、東西約二十米、参道は長く往時はその両側に杉の大木が林立し昼尚暗き鎮守の森として親しまれていた。春秋の宵祭りには大小百余の灯籠の列が夜空に聳え..
当社は上大類村の西北部に在り氏子約百戸神域は南北約二百米、東西約二十米、参道は長く往時はその両側に杉の大木が林立し昼尚暗き鎮守の森として親しまれていた。春秋の宵祭りには大小百余の灯籠の列が夜空に聳える杉の木立に映えて壮観であった。大東亜戦後昭和二十七年社殿の改修工事費に充てるため神域の南半部を伐採整地し周囲に数十本の桜を植樹した。現在ここは神苑となり町民のスポーツと憩いの場となり春の花見の頃は桜花爛漫とても見事である。 当社の祭神は宇気母智神(農耕の神)と菅原道真公(学問の神)の二柱で勧請の時は詳でない。明治三十九年十二月二十八日村社に昇格、明治四十年十月八日当時村内各所にあった諏訪社二社稲荷社二社天神社の無格五社を合祀した。この社には長さ五七糎、径六・八糎程で両端に相称形に切込みのある暗灰色をした緑泥片岩の石棒が社宝として安置されている。 社殿は天正十二年庚申九月奉建創祀され、その後享保七年壬寅龍記九月十九日再建され、更らに嘉永年間にも建替えられている。近年では昭和二十七年に至り、建替後百四十数年の風雪にたえ破損甚しく大改修の必要に迫られ、氏子を始め村出身者の寄進と神域の杉用材により同年秋に造営されたのが現存の社殿である。その後平成四年秋拝殿の一部の改修、および玉垣工事が行われ現在に至っている。
宇気母智神 菅原道真公
旧村社
勧請時期不詳、社殿は1584年(天正12年)創祀されたのが最初。
JR両毛線/JR上越線高崎問屋町駅から徒歩22分(1.7km)
無料
あり
なし