とよふつじんじゃ
埼玉県熊谷市上奈良1286
利根川と荒川のほぼ中間に位置する上奈良は、中世の奈良郷に属し、近世になり分村した所である。地内には平安期の奈良館跡がある。 当社は元来御霊社と号していた。『風土記稿』には「御霊社 村の鎮守なり、社..
利根川と荒川のほぼ中間に位置する上奈良は、中世の奈良郷に属し、近世になり分村した所である。地内には平安期の奈良館跡がある。 当社は元来御霊社と号していた。『風土記稿』には「御霊社 村の鎮守なり、社内に本地仏愛染を案ず、慶安二年(一六四九)八月廿四日、当社領及別当寺領とも合て十石の御朱印を附せらる(以下略)」と載せられている。創建の年代は明らかでないが、その背景にはかつて地内に荒川の川筋があったことが挙げられよう。往時の人々は、河川の氾濫によって生じる疫病などの厄災を怨霊の祟り―御霊によるものと考え、御霊という音に近い鎌倉権五郎の怨霊を祀ってその祟りを鎮めようとしたことが推測される。ちなみに、当時の荒川は当社と別当東光寺の間を横切る形で東西に流れ、そこには東光寺管理の「御霊の渡し」と呼ぶ渡船があったと伝えられている。 本殿には、像高三〇センチメートルの座像が奉安されており「権五郎尊像 元禄十二己卯天(一六九九)五月吉祥日 建立東光寺恵旭三十二歳」の墨書が見られる。 明治初年の神仏分離により本地の愛染明王は東光寺に移され、明治五年に祭神を武甕槌命に改め、豊布都神社と改称した。豊布都とは、武甕槌命の別称で、鎌倉権五郎の武勇にちなんだものと思われる。 なお、往時の朱印地については、東光寺に朱印状が現存する。(本務社:上Cuore村神社 大雷神社HPより)
祭神武甕槌命
1月1日 元旦祭 2月3日 節分祭 4月15日 荒神祭 7月15日 八坂祭 10月15日 秋季例大祭 11月下旬 大麻頒布始祭 12月22日 冬至祭・星祭
あり