かりたじんじゃ
島根県大田市久手町1942-2
苅田の大神は、御神名の示しているとおり、農業畜産を主宰せられ、五穀豊穣の守護神であります。この地方における式内社の中でも物部神社に次ぐ重要な地位にあり、上古から年々国幣が献ぜられました。とりわけ旱魃..
苅田の大神は、御神名の示しているとおり、農業畜産を主宰せられ、五穀豊穣の守護神であります。この地方における式内社の中でも物部神社に次ぐ重要な地位にあり、上古から年々国幣が献ぜられました。とりわけ旱魃や長雨等による天候不順の時とか、病虫害発生の甚だしい時に於ては国司・郡領が命じて当社の祭祀を厳重に行わせ、御神護を祈ったと記録されています。更に病魔悪災を刈りとって下さる御霊験があるとして、往古から地方民の格別篤い信仰が集まった神社でもあります。現存の苅田神社々記によれば、第59代宇多天皇の寛平7年、当町鈴見の里、神谷山の烏帽子端(えぼしばな)という大巌石の上に、既に御鎮座になっていたといわれますから、創建の時は更に遠い以前のことでありましょう。その後、万寿3年寅の洪水といわれる、前古未曾有の大水害があり、山は崩れ谷は裂け、波根湖が大氾濫しました。当社の本殿・拝殿・楼門・回廊を始め末社等悉く漂流しましたが、幸い御神体の内二体が、矢代柳の大樹にかかって、それを奉遷することが出来ました。こんどは神谷山の麓に社殿を造営しましたが、これより昭和3年まで、実に1000年の間の、御鎮座の地となりました。
苅田比古命、苅田比売命、倉稻魂之命、国常立乃命
式内社(小)論社
加利多明神
4月15日
あり