創立は仁賢天皇(五世紀末)の朝六年当地に 住民の出来た時氏神に勧請し、爾来連綿奉斎し、その後人家も増加し耕土を開拓し 村の産土神となった。 天文一四年(1545) 今泉與太夫が禰宜に任ぜられ以後累代奉仕した。 永禄年代 (1557~) 領主の崇敬厚く神田の寄進もあり、また元和六年(1621)には 神領地を付せられ、慶安元年(1648)菅沼定實入部一層崇敬せられ、近郷 二百五十余戶の崇敬者ができた。昔から白山妙理大権現と称したが、明治二年仏語の 社号を禁ずる令に依り、白山神社と改称した。明治五年十月十二日、村社に列格し た。大正十二年二月二十六日、供進指定をうけた。