文永6年(1269)第90代亀山天皇の御代に当時の八字に創祀した。大日靈命と豊玉姫神を祀る茶ノ木神明宮、宇迦之御魂神を祀る瀬来稲荷神社、猿田彦神を祀る辻下白鬚神社、菅原道真公を祀る天神廻り北野神社、大山津見神を祀る十二廻り大山祇神社、建御名方神を祀る新田諏訪神社、宇迦之御魂神を祀る茶ノ木稲荷神社、建御名方神を祀る北窪の諏訪神社、8社の本宮と末社16社がその基となっている。
当時この地の領主で桃井義胤も各社を厚く崇敬し祭祀の際には幣帛料を供進していたと伝えられている。また永禄9年(1566)箕輪城落城の際奮闘し 漆原城を守った漆原十二紀の氏神として同族からの崇敬を集めるとともに、各字の鎮守神としても字民から崇敬されてきたのである。
明治43年3月政府の勧めにより8社の本宮と16末社の石祠をこの地に合祀し、漆原神社と改称した。後に火渡り神事に無病息災を祈願してきた御嶽山大神、意和羅山大神、百康申塔、金比羅大権現 大黒等も境内に移され祀られている。大正7年3月に神饌幣帛料供進神社の指定受ける。