創祀年代は不詳。通称、茂侶浅間神社と呼ばれる神社で、延長5年(927)に作成された『延喜式神名帳』に「下総国葛飾郡 茂呂神社」と記載される式内社の論社の一つ。ただし、論証を欠いており、可能性は薄いとされる。他の論社二社は、流山市三輪野山と、松戸市小金原の茂侶神社である。
境内石碑による茂侶神社縁起
当茂侶神社の起源は古く、延喜式神明帳に「下総国葛飾郡二座茂侶神社・意富比神社」とあり、今を去る千六十年前すでにこの地に鎮座されていたのであります。
愛媛県越智郡瀬戸内海大三島、祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り、古来、縁結び・安産子育ての神として地元民の崇敬する処でありました。
摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り、御嶽神社と申して居ります。
三代実録に清和天皇の貞観十三年十一月十一日、下総国従五位下茂侶神に従五位上を授くとありました。
陽成天皇の元慶三年九月二十五日、下総国正五位下茂侶神に正五位上を授くとあります。西北にある湧水は「天の真名井」と称する当社の神泉であります。江戸名所図会によれば年の始に隔年この神域より柳営に根引若松を選び上納する旧例とあります。古来例祭は旧暦六月一日に行います。
千葉県神社名鑑による茂侶神社の由緒
船橋市の東側高台に古松多く繁り、かつては南側に海を間近く見渡し、西側には街の家並みを望む景勝地に鎮座する。往古には富士山の麗姿を遥かに拝して御祭神を祀った。「茂侶神社」の社名は「延喜式」に記載もあるが定かではない。