川倉芦野堂は青森県五所川原市金木町川倉に境内を構えている御堂です。川倉芦野堂(三柱神社)川倉芦野堂の創建は不詳ですが弘前藩(藩庁:弘前城)3代藩主津軽信義が寛文8年(1668)、又は寛文12年(1672)霊場として整備されたのが始まりと伝えられています。寛延年中(1748~51)に津軽三十三観音霊場第十三番札所に選定されると広く信仰されるようになります。当初は観世音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像が祀られ、安政2年(1855)に飛竜権現を合祀した事で神仏混合し飛竜三社大権現と称するようになりました。寛政8年(1796)には江戸時代後期の紀行家で民俗学の祖とされる菅江真澄も川倉芦野堂を訪れており、由緒や境内の様子を記録しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され観音堂は廃堂となり社号を三柱神社に改称しましたが明治6年(1873)に金木八幡宮に合祭となります。明治8年(1875)に複社となり明治9年(1876)に村社に列し明治40年(1907)に幣帛供進神社に指定されています。昭和に入り池屋(高橋家)、山源(津島家:太宰治の生家)などの金木の有力者の尽力により昭和5年(1930)に観音堂が再建され川倉芦野堂と命名されています。