能満寺の末寺で600mも離れてない伯母様という場所に高岳院と言う寺がありました。(地名は、珍しさからテレビでも取り上げられるほど。)
1368年代に建立されて、戦国の世に再び脚光を浴びました。
太田道灌、三浦同寸亡き後の北条氏の知将、布施弾正康則がこの地を治め、伯母様を住まわせていました。
その菩提を弔うために1550年頃に高岳院を再建しました。それゆえこの地を伯母様といいます。
江戸時代には、徳川家光公より5石の朱印地を賜り6000坪の寺領を保っていました。能満寺が7石だったので、ある程度の規模だったと想像されます。明治の記録では2町の畑があったとあります。開基は布施弾正で、その伯母様が住んでいたので、伯母様という地名になっています。
その伯母様の菩提を弔うために建てられたのが高岳院です。
本尊様は、聖観世音菩薩。
農地解放があって先々代の住職が、本堂の再建を計画していましたが、その住職が亡くなって次の年に急遽廃寺となりました。
伯母様の戒名は梅林理香大姉といい、この地にその徳を称え、布施氏の功績を後に伝えるために、梅林を整備し、寺の歴史を広め、伯母様の地に新たに高岳院を盛り上げるために、研修道場としたり違う形での再建を考えて行きたいと思います。