まさかじょう
茨城県常陸太田市天神林町3247
馬坂城は,平安時代の末期に,新羅三郎義光(源義家の弟)の孫で,佐竹氏の祖とされる昌義が築いた城郭。 約6032平方メートルの敷地に3つの曲輪を設けた平山城で,北を鶴が池,西南を山田川に囲まれた,ま..
馬坂城は,平安時代の末期に,新羅三郎義光(源義家の弟)の孫で,佐竹氏の祖とされる昌義が築いた城郭。 約6032平方メートルの敷地に3つの曲輪を設けた平山城で,北を鶴が池,西南を山田川に囲まれた,まさに自然の要塞と言えます。佐竹氏が三代隆義の時代に佐太田城(舞鶴城)に移った後は, 四代秀義の子,義清が稲木氏を名乗って移り住むなど,佐竹氏一族の居住となっていたが,慶長7(1602)年,佐竹氏の秋田移封に伴い廃城となりました。 また,場内には,縄文時代前期の頃と見られる間坂貝塚があります。
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